00102-040704 求め続けるのが恋、与え続けるのが愛
YMCAで野尻小学生キャンプの打ち合わせ会。今年も70人を超える参加者を得て、活気にあふれるキャンプになりそうです。楽しみですね。
日ごろ大学で学生たちと話していると、恋と愛の違いとか、恋愛と結婚の違いがよく話題になります。今日も20歳前後のキャンプリーダーたちの間でそれが話題に。これは人類にとって極めて普遍的なテーマ。したがって、古今東西、いろいろな人が様々な表現をしています。その中で、shioが最も実感するのは以下のことば。
恋とは求め続けるもの。
愛とは与え続けるもの。
shiologyでは040619 で、giveとtakeは最初にgiveありき、ということを書きました。誰かがgiveしてくれたから、別の人がtakeできる。当たり前のことです。たとえばインターネットは、誰かがホームページをアップしてくれたから(give)、別の人がその情報を見る(take)ことができる。至極単純な前後関係です。giveあってこそ、takeできるのです。 しかしヒトの欲望は底知れず、常にtakeし続ける。もちろんそれ自体は自然なことではあるけれども、冷静に考えてみるともし自分がtakeしかしていないならば、自分は社会に対して何ら貢献していないことになる。多くの人が社会にgiveしてくれた様々なものをtakeして生きているのだから、自分も何かしらgiveしたい。そして実際にgiveする。なにがしかのものをgiveできるようになったら、それを人は「大人」といい、「社会人」というのでしょう。
同様に、特定の異性からtakeしようとする関係が恋。それをいくつか経験するうちに、異性を理解し、異性に対してgiveできるようになったとき、それが愛なのだと思います。そしてふたりの異性がお互いにそれをできる間柄になれたとき、結婚しても破綻を来さない関係ができるのだと思います。なぜなら、夫婦という単位は、それだけでひとつの小さな完結した社会です。その社会において両方がgiveせずtakeばかりしていたら、そのうちtakeするものはなくなります。得るものがなくなった相手とは、一緒にいる意味を見いだせません。小さな社会に好循環が生まれるためには、常に双方がgiveし続けることが不可欠なのです。
愛はあふれるものです。
他者を愛すると、つまり他者にgiveし続けると、その相手は愛で満たされ、そのうち愛があふれます。そしてそのあふれた愛でまた人を愛します。ステキな愛の循環です。
キャンプでリーダーをするみなさん、子どもたちに存分に愛を注いでください。きっと子どもたちもその愛を受け止めて、他者を愛する豊かな心の持ち主になると思います。
愛にあふれたキャンプにしましょう。
他者に与え続けていると、きっといつか自分も与えられる。
リーダーをする意味はここにあるのだと思っています。
さっき、shioがみんなに言いたかったのは、こういうことです。
また語りましょう。
さて写真の話。
今日はCaplio GXで225枚ほど撮影しました。ISO400でも十分使えます。もちろん画像はノイズが乗り、荒れていますが、写真として破綻するほどではない。撮れないより撮れる方がいい。また、ピントが素早く合うのも重宝です。
写真とは瞬間の芸術、刹那の描写。撮りたい瞬間にピントが合わなければ、それを写し取ることができません。多くのデジタルカメラは、ピントが合うまでの「ロスタイム」が長い(レリーズタイムラグと呼ばれています)。長過ぎる。それがためにいままで、キャンプで動き回る小学生を撮るような場合には、仕方なく一眼レフのデジタルカメラを使っていましたが、今日一日、子どもたちを被写体にCaplio GXを使ってみて、「使える」感触を得ました。
Caplio GXが欲しいと思っても、ちょっと価格が高いなぁ、という人へ。
同じリコーのCaplio RXなら、実売実質価格、30,000円程度です。レリーズタイムラグはCaplio GXと同等、快速。接写も1cmまで寄れる(これ、かなり重要です)。そしてレンズは28mmのワイドから100mm望遠まで必要十分。これに、ハギワラシスコムの256MBのSDメモリカード(転送速度10MB/secのもの)を入れれば、十分でしょう。幼稚園や保育園で子どもを撮る機会が多いRさん、これ、いかが?